ゲームにおける失敗は、楽しさを助長し次のプレイへと導く有用な働きを示している。
失敗のフィードバックを適切に視覚化することで、次なる成功のモチベーションへと進化する。
このあたりもうまく取り入れてみたい。判断基準が公正であるというのも重要。
失敗のイライラ・高揚こそが、没入するトリガーとなってるのは明確です。
ゲーミフィケーションではどう取り入れるべきか…
ゲームやアプリなどでソーシャルな繋がりが重要視されてきていますが
どこか限界を感じてしまう。
場の雰囲気はその場で共有されるもので記憶として残る。
その共有方法を遊びながら、という視点なのが、
気づいたら目的と手段が変わってきてしまう。
中身のない箱になるのか。
うまくまとめられませんが、違和感はきっと明確にわかるはず。
今日聞いた大手玩具メーカーさんの話で
子供が喜ぶのを見て親が喜ぶ。この流れを消費活動に結びつける。
いかに親に買わせるか。操作された短期ブームの無用の長物を。
よくある話。
メモとして。
>バートルテスト
大きな分類としては以下となるようです。
・アチーバー
・エクスプローラー、
・キラー
・ソーシャライザー
さらにこれら分類を「消極的」「積極的」という軸で拡張される。
参考:ソーシャルゲームはなぜハマるのか ゲーミフィケーションが変える顧客満足
深田 浩嗣 (著)
よく聞く言葉として実感するようになってきましたが、
この流れがいわゆる広告業界ノリの「手段」として普及していく(すでにしている?)気がしています。
特にギャンブル性を含ませていくことに危険性を感じている今日この頃。
パチンコが日本の国土を席巻したような、あの恐怖を感じてしまうのは気のせいか・・・
教育や医療、はたまた政治にまで良い効果を生んでいくことに、個人的には期待しています。
そう、ひとつの家族に良い影響がでるような、そんなイメージ。
様々な分野での活用事例が報告されている。
Xbox 360のモーションコントローラー「Kinect」。リ
リースから数ヶ月ですが、様々な分野での応用がなされています。
既に医師の手術の精度向上や盲目の子供へのガイドなどに使われていますが、
教育分野でも応用されているそうです。
年代によって、この「教育とゲーム」と聞くと拒絶反応がおこるものだろうと思われる。
でもゲームで育った年代にはなんの抵抗もない。
目的がはっきりしていれば、手段としてゲームテクノロジーを使うのは必然的だと思う。
ますますゲーミフィケーションの有用性を感じる今日この頃。
1.辛いこと
2.スプーン上には小さなカレーを意識(ルーとライスの割合に注意)
3.水は2回まで(完食後は自由)
4.トッピングはOK
5.ゴールのひとすくいも小さなカレー(これがハードル高い)
これでフロー状態になっていることが判明・・・
Twitterに「あなたがフォローしているユーザーへジャンプ」ボタンがこっそりと実装されている件。
こちらにもあるように「もう一つ、発見のためのささやかなボーナス。・・・」などと書かれているが、
なぜ?と疑問に思う。
以前、ほぼ日でも見かけたランダムジャンプボタン(今はないのかな)
iTuneのシャッフル機能。
あーゆうお楽しみ機能を実装してみてユーザーの反応でも見ようとしているのかと勘ぐってしまった。
好きな音楽を聴くように、好きなユーザーのTLを観ようということか。
それとも「人のTL」ページへのめちゃくちゃソフトなただの導線確保か。
ゲーミフィケーションとは、ゲームデザインの要素を実領域に応用する考え方や、取り組みのこと。
これをうまく導入することで古くなったサイトも息を吹き返す可能性が期待できる。
ただこれは裏側の話で表だってユーザーに伝える必要はない…(逆にマイナス効果?)
Twitterでいうフォロワー数、Facebookのいいね!など普通に取り込まれている仕組みなので
結局のところモチベーションマネジメントの話。
インセンティブを与えあうところだけに目を向けてしまうと危険なのかも。
さらに重要なのがモチベーションデザインマネジメントか。